「セックスレス、大いに結構」と思う理由について考えてみた。
夫婦間での悩みの一つにセックスレスが挙げられるわけですが、
これって、そんなにイヤなのでしょうかね。
イヤなんでしょうね。。。
だからお悩み相談とかにハガキがきたりするんですよね。
わたしは結婚する前から
もし結婚することがあったなら、「早くそんな関係になってしまいたいなぁ」なんて考えていましたけどね (;^ω^)
セックスレスになると、なにがそんなに困るのだろう?
そんなにしたいのか……(;^_^A
と、全くもってセックスレスで悩んでいる人に共感できなかったのです。
だけど世の中には、
結構この手の相談や、
離婚の引き金になるとかいう話を目にし耳にすることは少なくないので、
きっと日常的に夫婦間で性交渉をするのは当たり前であり、
義務でもあり、
それを両者が欲しない関係でもない限り責め苦はつづくんだ……
とまで考えていました。
長い夫婦生活において、レスになるのはいいとして、
そこに苦悩する人がいることに理解は出来ても、
とうてい賛成というか心が動かされることがなかったんですよね。
おかしいな。
そんな人、どうしているの?
ちょっと変なんじゃないの?
そんなのは、ある少数者の特殊な悩みと思っていました。
完全にマジョリティ側に自分がいると信じていました。
まあ、そういうのが好きな人もいるってことで。。。
と、半ば苦笑いさえして相談ごとが書かれた記事に目を通していました。
なにしろAセクという言葉や定義を知ったのは、結婚後です。
恋愛感情や性的興味に関し空白部を持っているなんて、
薄々気づいてはいても認めたくなかったり、
そんな気持ちになれない自分は人間的な欠陥を持っているのだと周囲にバレないようにしていた過去があるわけです。
ところが自分がアセクシュアルと名付けられる部類に属することを知り、
ようやく自分自身の特徴、特異性、どうやらマイノリティの側にいるらしい、
なんてことに一気に気づき、
そこではじめてセックスレスに悩む方々に共感できない理由を知ったわけです。
共感も何も、こちらにしてみれば、
だって、したくないんだもん。
ということに尽きるわけです。
そもそも、
むしろ、
なくていいので。。。
することの方が、悩みなんだもん!
セックスレス、素敵。万歳。
いいなぁ、うらやましいなぁ。
気持ちでつながっていれば十分なAセクであるわたしにとっては、
とても自分のこととして想像し、共感し、解決方法を探ってみようなんて気になれなかったというわけです。
理由が分からなかった者にとっては、結構すっきりできた発見でした。
極論を言ってしまえば、
わたしにとって性交渉は妊娠のための行為にすぎないといっても過言ではありません。
アセクシュアルだけではなく、
ストレートの人の中にも性的関係をあまり好まない人もいるでしょう。
なぜか世の中には
恋愛=性交渉
みたいな前提があるので、それを好きになれない自分はおかしいのではないかと悩む人だってきっといると思います。
「みんなちがって、みんないい」ではないけれど、
ホント、人の数だけいろんな性の捉え方や好みや我慢(容認)できる限度があるはずなのです。
夫婦間で、セックスレスに悩む人もいれば、
むしろない方が過ごしやすいという人もいる。
わたしは当然ながら後者。
夫婦でよくおしゃべりするし、一緒にお酒飲んで笑いあって、それで十分満足。
セックスレス、大いに結構です!
こちらの方が生活していくうえで自然で、居心地のいい人間もいます。
あんがい、少なくない数の人がね。