AセクによるAセクのためのブログ

長いアセクシャル人生、こうやって生きてきたよということを綴ります。Aセクの結婚、友情結婚、善きパートナーについても書いています。

子供が好きなアセクシュアルもいる

こんにちは。

2020年に始まったコロナ騒動も早いもので3年目ですね。

手洗い・マスク生活にも慣れ親しみ(?)、一部ではもはやマスクで口元を隠していないと相手が誰か分からないなんて状況にもなっているみたいです。

 

小学生のわが子の学校での生活も、以前のわたしたちの頃とはだいぶ違って。
たとえば給食中は一人ひとり、前を向いて自分の机で黙食。

給食の時間には友達と机をくっつけて向き合い、ペチャクチャおしゃべりしながら食べるのが一番の楽しみだった頃のことを思い出すと、あの楽しみをこの子たちは経験しないのかー、なんて思ったりもします。

しかし、今考えるとおそろしく唾とか飛んでいたんだろうな……(;^ω^)

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偏愛


子供を見ていると過去のいろんなことを自分と比べて思い出したりもしますが、

Aセクのわたしが子供を持つことには何の抵抗もなくて、むしろ子供をもってよかったなと思っています。

毎日、忙しいけど(+_+)  記憶、ぶっ飛んでいるけど。

 

恋愛に対して淡白なのはある意味当たり前だけど、その反動ではないにしろ一個人の人間に対しては猛烈にベクトルが向く傾向があって、
好きなものや気に入った人に好意を抱く? 
興味関心を抱く? 

言い方はどうでもいいのですが、そういう感情が、恋愛がらみの「好き」というのとはまったく別にわき上がるわけです。

注意:偏愛は、あくまでわたし一個人の傾向です。




独身の頃から結婚して子供がほしいな、と漠然と思っていました。

 

だけどうまく人のことを好きになれないのに結婚なんて出来るかな……

子供を持つのって、結婚のさらに先にあるよなぁ……

 

現実問題、どうなの? 難しいよな、って。

「恋愛的に好きでなくても、相手のことを人間的に好きでいられれば演技くらいはできるかも」

というのが当時の考え方でした。

 

恋愛感情を含んだ「好き」 ⇒ 交際 ⇒ 結婚 ⇒ 出産

 

の図式がわたしには強かったのです。

 

LGBTQIAなど、性的少数者に特徴を表す名称がつけられて、大ぴっらに世間の人たちの口にのぼるようになったのはごく最近のことだと思います。

2015年のパートナーシップ制度が、わたしにとってはセクシュアルマイノリティと言われる人たちの存在を強く意識した最初です。

 

こんな書き方をするのも、その頃まだわたしは自分もそちら側に属していることに気づいていなかったからです。

 

わたしはアセクシュアルノンセクシャルといった言葉の世間的認知度が低かった頃から、あるいは名付けられてもいない頃から、

「どうやら自分は周囲の友人たちとどこかが違う」「みんなが騒ぎ楽しんでいる恋愛の感情がいつまでも持てない」ということを感じざるを得なくてずいぶん気持ちが不安定な時代がありました。

 

なにしろ恋愛から結婚に至る道は、ほぼ一つのコースに限られているような考えが世間一般的で。

そんな世界で「恋愛ができない」、そもそも「恋愛的な気持ちってなんだ?」などとやっているわたしには、その先の家庭を持つという未来はずいぶん遠かったのです。

 

だけどパートナーシップ制度とかLGBTQIAという言葉を知るようになり、初めて未知の、しかも明るい光の射す世界で生きている人たちの存在を知りました。

 

そしてわたしのような性的な特性を持つ人間にも、きちんとした名前が付与されていることも知りました。

 

自分が何者であるか。

そんなこと、他人に決めてもらうのではなく、自分自身で決めることだよ。

 

そういった、意思決定を他人任せにしてはいけないという教育的なこととは別に、

自分が社会の一員として、一個の名付けられた者であると認められていることの精神的安定感

これはわたしにとって非常に大きいことでした。

 

アセクシュアルっていうんだ!」

「なんだ、わたしはAセクシャルだったのか!」

 

性的少数者の特異性に喜んだわけではもちろんありません。

 

自分の居場所をみつけたというか、
「全然おかしくないよ。そのまま何かを直そうとしたりしなくてもいてもいいんだよ」
と受け入れてもらえたような気がしたのです。

 

見知らぬ人だったとしても、誰かが自分のことを分かってくれている。

同じ境遇の人がいる。

よく言われる「あるがままの自分」を受け止めてくれる人や場所。

 

そういう安心できる居場所に、わたし自身が子供にもなってやらなければな、と思います。

 

わたしは自分自身の性的傾向がこんなだからか、

子供が性別を超えてどんな人を大切に想うようになっても応援すると思います。

もちろん誰かを恋愛的に好きにならなくてもちっともかまいません。

別に驚きもしないと思います。


*

たまに、子供が好きすぎて、

もしもこれと同じくらいの熱量で他の誰かに恋心を抱く傾向が自分にあったとしたら、

絶対に「あいつおかしい」とか「ヤバいからあいつだけには近づくな」とか言われていたと思って苦笑してしまいます。

 

アセクシュアルだからといって、誰かを好きにならないとか愛せないというのは全く間違った受け止められ方です。

結婚したいアセクシュアルもいるし、子供を持ちたいアセクシュアルノンセクシャルもいます。

 

一人ひとりの性格が違うように、性的傾向だって違って当然なんですよね。