共同生活者・パートナーの条件
自分自身との付き合いが長くなると、さまざまなことが分かってくる。
自己の発見は楽しくもあり、驚きもある。
わたしはどうやらL寄りのAではないかという可能性が否定できないので、今度パートナーを持つとしたら同性もいいと思っている。
というか、思い始めることができるようになったという発見でもある。
とはいえ同性と付き合ったことはなく、もちろん恋心を抱いたこともない。
ただ、異性よりも同性のほうが一緒にいて居心地がいいと思うのは事実のようだ。
でもそれは、もしかすると単に異性を好きと思えずに、友人として話したり行動するのが同性の方が楽ということなのかもしれない。
正直言って、結婚し子育てに追われて日々を過ごしていると、
性別にこだわることや、自分がセクマイに属しさらにそれを分けるアルファベットの中の何だとかはあまり重要ではなくなった。
おそらく今の生活に以前のような悩みはいらなくなったからだと思う。
もちろん前はそんなふうには考えられなかった。
白黒はっきりさせたい方だし、自分が何者であるかという自分探しみたいなこと、アイデンティティの明確さが情緒の安定にもつながっていた。
だからなにがなんでも、自分自身が属する場所を現存する言葉にあてはめて安心したかった。
実際、アセクシャルという言葉と出会った時の安堵感は今でも忘れられない。
「何物にも束縛されずに自由に生きたい」などというポーズはとっていたけれど、
どこかに束縛されること、あなたはこういう特徴を持ちこういう言葉で表される集団に位置しますよと定義されたかったことに、その時激しく気づいた。
生活を重ねる中で、わたし自身という一人の人間の内面も変わってきた。
さまざまな経験をし、いろいろな人々の考えを知るうちに変化した部分も多い。
LもGもBもTも、もちろんAも。
出会った人が、どんなアルファベットで表されてもべつだん驚きもしないだろう。
偏見もなければ、Aの人に意見を求められれば喜んで自分の経験から言えることを話すだろう。
これは自分がその一部であったこともあるけれど、その後の啓蒙活動も大きかったと思う。
わたしもそういう世界があることを知ってからの方が壁みたいなものがなくなった。
一人ひとり、性格が異なるように性的指向もたくさんあってよく、それが当たり前なんだと気づいた。発見したといったほうがいいかもしれない。
社会的にも以前よりもずっとこの部分での理解は進んでいるようだ。
もちろん好き嫌いは人それぞれなので、全員がセクマイに属する人を快く迎え入れてくれるわけではない。ただ、物事はなんであれ100%賛成されることはないし、どんな分野のことでも、それを受け入れる人と受け入れたくない人とどちらでもない人に分かれるのだから。
だからそういう意味でも、あまりセクマイ自体を重大事に考えることもなくなった。
パートナーの性別にこだわる意味が薄れているのには、一つには自分自身が結婚して子供がいるからかもしれない。
年齢的なことを考慮しても、今後子供を産むことは考えられない。
わたしにとって異性が必要だった理由は、妊娠し出産したかったからということが大きい。
ずっと以前は「好き」という感情もないのに結婚に進めるはずがないと思っていた。
完全に恋愛至上主義的刷り込みがなされていた。
そこから外れることは不完全な人生だとさえ思っていた。
(親の意向などによるお見合い結婚で、ふつうに結婚していた人たちの存在はまったく念頭にのぼらなかった)
しかし「好き」がなかったわたしも、歳を重ねるにつれて自然とどこかで折り合いをつけていたのだと思う。
一緒に暮らす人、もしかしたら家族を増やす相手、それは単に生活共同者にすぎないのではないか? と。
そして結婚してみて、やはりわたしの中にある「好き」の概念が多くの人とは違うのだと確信した。
わたしは、最初から相手のことを「人間的に」好きなのである。
「今後生活をしていくうえで最適な人」と判断しているのである。
長く一緒に生活していく中では、何もかもが好ましいことばかりではないし、むしろ細かいことなど違うことのほうが多いかもしれない。
なんとなく、同じ方向を向いている。
案外アバウトな方がバランスがとれるのかもしれない。
とはいえわたしは今のパートナー(夫)をとても好きだ。人間的に本当に善い人だと思っている。
この人でなければ、わたしもこれほどわがまま放題できないような気もする。
子供が欲しいために異性と結婚したようなことを先に書いたが、一緒に暮らしていく人としてこの人ならばという気持ちが一番強かったのが今のパートナーだ。
たぶんこれは男とか女とかは関係なくて、一緒に暮らしていくのにちょうどよい、最適だったということなのだろうと思う。
十数年をともに過ごしてきて、今では生活に欠かせないワンピースだ。
「ありがとね」と言い合い、声を上げて笑い、「子供のクリスマスプレゼントは何にする?」とこっそり話し合う。
ただ、そことは切り離して考えたとき、
わたしの場合、パートナーには同性を選んでもぜんぜんかまわなくて、それで心地よい生活を作れるのであればその部分でなにもためらうことがないということだ。
Aセクでも結婚できるし、家庭は築けるとずっと書いてきたのはこういうことだ。