アセクシュアルにとってカミングアウトとは?
こんにちは。
異性愛者が多勢であり、理解してくれる人のまだ決して多くはない社会において、カミングアウトすることで自分の居場所を作っていこうとする人たちがいます。
大勢の人と違う生き方をしていることを口外し、しかもそれが性にかかわることともなれば、ものすごく勇気のいることだと想像できます。
わたしはといえばカミングアウトなどせずに、のほほんと結婚生活を営んでいます。
日々の暮らしを楽しんでいます。
今のところカミングアウトする予定もありません。
それで生活はうまく回っているので。
今さら「Aです」と言ってみたところで、相手はおそらく「へえー」とか言った後、
「でも、結婚生活に大事なのって二人の関係を育んでいくことでしょう。そこには好きとか嫌いよりももっと奥深いものがあるよね」
というようなことを言うと思います。
わたしがパートナーの結婚観で好きなところは、「二人で育む」というところです。
正直「この人と結婚するのもありだな」と思った部分でもあります。
目次
「ある」セクマイがカミングアウトをする理由
「ある」とは何を指すかといえば、恋愛感情や性的興味などのことです。
LGBTと呼ばれる人たちはそれらが「ある」という共通点があります。
ゲイの方でもレズビアンの方でも、相手を好きになる気持ち(恋心というやつ!)をお持ちなわけです。恋愛感情や性的欲求が「ある」わけです。
その対として、後で「ない」セクマイ=アセクシュアルのカミングアウトについて考えますが、
セクマイは大方「ある」人たちが主流を占めています。
だからアセク・ノンセク(恋愛感情はあるにせよ)はセクマイに属していながらも端に追いやられる、さらに少数派なのです。多勢に無勢もいいところです(;^_^A
(LGBTQIAって、どこまでアルファベットを並べるんだ! と最初は思ったっけ)
それにしても、「ある」方々がカミングアウトをする時ってどういう時なのでしょう。
「したいからする」と「必要に迫られてする」場合が考えられますが。
- 同性に対して「ある」ことを周知してもらい暮らしやすくする手段としてして。
- 同性愛者と知ってもらうことで、カップルの場合は周囲に相手を紹介できる。
- 異性愛者からの告白をきちんとした理由で断れる。
- 結婚を勧める親や周囲に対して説明ができる。
- 同居(結婚)を考えている
- 「彼氏・彼女いるの?」と聞かれるのがわずらわしい
- 職場環境を良くしたい
- 隠すことに疲れた。オープンにして気持ちを楽にしたい。
たぶん一人一人に、一つ一つの理由があるのだと思います。
恋愛感情が「ない」Aセクがカミングアウトする場合
アセクシュアルって、同じセクマイの同性愛者の方とも違い、カミングアウトをすることによって、こちらから何かを主張したり勝ち取る要素は薄いのではないかと思います。
もちろん
- 交際を迫られて、好きになれないから断る際の理由として。
- 恋人を作らないの、「結婚はまだ?」と聞かれて、興味がないことを示すための根拠として。
- 心苦しい。
などの理由からカミングアウトをする方はいると思います。
でも「この人(同性)と一緒にいることを認めてほしい」
という類の悩みは少ないと思われます。
むしろ
「誰かと一緒にいないことを認めてほしい」
「好きになれる人がいないのだから、結婚とか孫の顔をみせるとかは無理ということを認めさせたい」
という何かの不在を容認してもらいたいという理由が大きいでしょう。
積極的に何かを認めさせて幸福を勝ち取るという、「ある」側に属するセクマイのカムに比べて、Aセクの方は別にカミングアウトしなければならないといった強い理由が思い当たりません。
恋愛感情その他の不在を容認してもらう幸福を勝ち取りたいのは、自分の自由がほしいから。
自由を保障してほしいからです。
だから早急にカミングアウトなどしなくても、失うものはありません。
これまで同様ふつうの生活ができます。
相手との関係の中で
でもこれが、パートナーがほしいとか、結婚し家族の形がほしいといった他者を絡めたものになった途端、カミングアウトは必要不可欠となり、言わずに心にしまっておくことが苦しくなってくるでしょう。
自分も含め、Aセクとはいえ家庭を持ちたい人はたくさんいると思います。
「恋愛感情も持てないのに!」「性交渉はイヤなんでしょう?」
という声も聞こえてきそうですが、結婚の前提に恋愛があるという考えは違います。結婚に恋愛感情とか別にいりませんから。
誰かと共に生きていきたい。
生活を同じくするパートナーがほしい。
他愛もない、どうでもいいことを話してしまえる信頼できる人にそばにいてほしい。
これって、Aセクが嫌う「恋愛しなければ冷たい人と思われる」ことと反対のことではありませんか?
Aセクの方々って、別に人間味がないとか冷たいとかではありませんよね。
普通に人を思いやる気持ちってありますよね。
家庭を築きたいとか、近くにパートナーを感じながら生活したいと思うAセクがいても全然不思議ではありません。
もしも子供がほしいという明確な希望があるなら、パートナーと自然妊娠を試みたり(子づくり「できる」Aセクもいます)、二人で話し合って人工授精などにトライすることになるわけです。
性交渉不可の場合なら、なおさら両者で話し合わなければならないし、必然的にカミングアウトという形になるでしょう。
相手が受け入れてくれるかどうかが唯一の問題です。
相手も同じAセク・ノンセクと分かっているなら意思疎通もストレスがなさそうですけどね。
**********
同性と仲良くしすぎれば同性愛を疑われ、中世的な格好をしていればジェンダーを疑われる。
アセクシュアルは、誰かと「恋仲ふう」に歩いていないということで疑われる。
人に言ったところで、「?」と首を傾げられる。
「人間味がない」
「好きになれない? そんなわけでないじゃん」
なんて言われたりする。
そんなわけないとかあるとか、それは本人が決めることで他人の感想を押しつけられるようなことではないのにね。
「犬派? それとも猫派?」「犬派」「えっ。それっておかしくない?」「おかしくないでしょ。これはわたしの判断だよ」というのと同じくらい変なことだし、大きなお世話だと思うのだけれど。
そもそもカミングアウトする必要なんてあるんでしょうかね。
しなければならない社会って、なんかおかしいよね。。。
……ということは前回書いたので、よろしければこちらもどうぞ。
※今日書いたことは、あくまでわたしが感じていることです。
すべてのアセクシュアルの方に当てはまるわけではありません。
一つの属性の中には人の数だけ感じ方や捉え方があるので、その中の一つと思って読んでいただければと思います。