AセクによるAセクのためのブログ

長いアセクシャル人生、こうやって生きてきたよということを綴ります。Aセクの結婚、友情結婚、善きパートナーについても書いています。

アセクで困ることってあるだろうか?

         雑記回

恋愛が「ある」前提で認識され語られる世界においては「ない」ものは無視される傾向が高いようだ。
つまりマイノリティは横に追いやられるが、さらに「ある」とされている恋愛感情が「ない」者には生存権がないということである。
「ない」もの証明は難しい。

 

でもアセクだから生きにくいことってなんだろう。

自分の性自認が明確であればあとは周囲の目とか、周囲からの接し方に満足いかないということかな。

恋愛感情はなくても結婚は出来るし妊娠・出産はできる。

人と愛し合うことは、恋心がなければできないことかな? それは明確に否定する。

家族は愛情があれば築ける。夫婦の間でさえ恋心などいらない。

恋愛感情がなければ出来ないことってなんだろう。愛のある性行為? 

 

わたしには恋愛感情がないんです、と宣言しなければならない場面ってどんなもの? 

相手が恋愛感情を向けてきたとき、気がない相手には「好きではない」と伝えればいい。
そこに恋愛感情の有無の明言は不要。
いい相手ならば、人として好きとかいうことを伝えればいいだけのこと。

 

カップルに憧れるがカップルになれない寂しさ、不安、相手に対して申し訳ないという気持ち。
好きになってくれているのに、こちらも好きにならなければならないという強迫観念めいたものは生じる。

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結婚後、夫婦の恋愛は愛情や愛着にとってかわられることが多い。
それならばますます恋愛感情はあっても一時期間あればいいということになる。

 

恋愛にしかない楽しさおもしろさがあるので、恋愛は必要という人もいると思う。
誰かにちやほやされたり持ち上げられたりしながら、愛する人や好きな人を獲得していく楽しさがあるのだろう。

 

でもだからといって、それが「ない」人間は「ない」ままで別に良しとしなければ、自分自身でなくなる。
「ある」ようなフリをしてはいけない。自分が苦しくなるだけだから。
自分に嘘をつくことはもっとも自分の首を締めつける。

 

本当に、別に恋心がなくても本質的な意味では何一つ損になることもなし、それで困ることもないのだから。人様に損害を加えるものでもない。

 

周囲からのたわいもない言葉を聞き流すことさえできれば、自分の身に危害が加えられるわけでもないのだし、当たり前に暮らしていける。

 

そもそもこんなことを書いている時点で、もしかしたらもうすでに時代錯誤なのかもしれない。

時代はもっと進んでいるよ、と。
もう2022年なんだよ、と。

セクマイの概念は広く深く浸透していて、誰もかれもが相手のセクシュアリティなんて普通に受け入れているよ、と。

本当に、そうであってほしいと願う。

実際には、女であること、セクマイであること(やはり世間的には未だ少数派という目で見られ、当事者もそういう認識を心の隅にでも抱えていると考えているので)、はそれだけで不平等を強いられている。

マジョリティの側の人が「気にしすぎだよ」と言っても、

マイノリティの側の人が「気にならないよ」と口にしないのであれば、おそらく未だ世の中には不平等がはびこっている。


いいことを一つ。

恋愛感情があると、痴情によるいざこざに巻き込まれやすい。
三角関係的なもつれや殺人にさえあいかねない。

恋愛感情がなければ、そこに巻き込まれる可能性が薄くなる。

 

一つ心配事が減る。あーよかった。

 

恋愛映画とかドラマ、ラブソング特集なんかははじめからスルーしてしまう。
なにゆえ、それほど会いたいと思えるのかが不思議。
相手を巡って喧嘩する必要もない。

わたしには他に読みたい本があるし、見たい社会派ドラマがある。
生きる希望をもらえる歌の方が好き。

誰かに会いたくて泣いたり、眠れないほど胸が苦しくなったり、道端で倒れ込んで泣き叫んだりしない。頬を叩かれたり、さよならが前提にある出会いなんてしたくない。
あまりそういう歌を聴いてもピンとこないし、ドキドキできない。
どこか、自立できていない人たちにすら見えてしまうのだから、始末におえない。


嫉妬でいらぬ興奮をしたり、痴情の果てに道を踏み外すこともない。

 

あれ?
あんがい、いいこと多くないか?

アセクシュアルで困ることなんて、さほど多くない。

 

友情結婚に特化した結婚相談所カラーズ