AセクによるAセクのためのブログ

長いアセクシャル人生、こうやって生きてきたよということを綴ります。Aセクの結婚、友情結婚、善きパートナーについても書いています。

そもそもカミングアウトが必要な世の中が、おかしい。

こんにちは。

 

世間ではLGBTの認知度もあがり、今は同性婚の成立に向けて活動が活発になっていますね。

憲法や法律を遵守することは大切だけど、一方で時代によって変えていかなければならないものもありますよね。

もっと現在を生きている人間にとって有益な法改正をしてもらいたいものです。

ただ、それを決定するのが古い規則にがんじがらめになった頭の議員ではなんともならないわけで。。。

 

わたしはデモをするのも大事だけど、結局決定権を持つ議員を選ぶための選挙がもっとも大切で、そこで国民の一人一人が意思表示をしなければならないと思います。

 

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目次

 

LGBT啓蒙者に勇気づけられる 

さてさて、前置きが長くなりましたが、
昨今YouTubeなどを見ていると、カミングアウトして顔を公開していたり、表立ってLGBTの啓蒙活動をされている方をよく見るようになりました。

 

こういう方たちが先頭に立って、活動を推し進めてくれているんですよね。

 

YouTubeで活躍している方たちの姿を見て、希望をもらっている人たちはたくさんいると思います。

 

いいことですよね。
本人が気づかないところで、そっと誰かの役に立っているのって。

彼ら、彼女らの楽し気な様子を見て

「自分もマイノリティの側に属しているけれど、つらいことばかりじゃない」

とか、

「こんなふうに毎日を楽しく過ごせるんだ!」

と明るく前向きな気持ちになる人って少なくないと思います。

 

あるいは、

「大人になったら楽しいことも多そうだから、今はつらいけれどもう少し頑張ってみよう」

と未来に希望をつなぐ学生もいるでしょう。

 

カミングアウトする気のない人が大多数 

でも、その一方でカミングアウトなんかする予定もない人が圧倒的多数なのです。

公表しているのはほんの、ほんの一握り

 

大方の人は普通に、平凡に、当たり前に、穏やかに日々を過ごしたいと考えています。

いたって、ふつーに。

誰もがしている、ふつーの生活を、ただ、したい

 

だって、異性愛者がわざわざ自分が異性愛者であると公表したりしますか?

付き合う人に恋愛感情があることを打ち明けたりしますか?

 

「おれ、今度女の人と結婚することになったんだ」

とか

「すごく言いにくいんだけど……。実はわたし、恋愛感情があるの」

とか。

 

ん??

って、感じですよね。ふつう、言わないでしょ。

 

じゃあ、なぜマイノリティの側の人間は口にしなければならないの?

ここ、ものすごく人権的に不公平だと思うんですよね。 

 

こういう問題が沸き上がるのは、大勢の人に【誰もが「恋愛感情」をもち、「異性」と「結婚」するのが当たり前】という大前提があるからです。

それがスタンダードと刷り込まれてきた過去があるから。

 

そこに優劣をつけているような社会にNOを言いたい。

 

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あなたの中の既成概念が一番怪しい 

まじめな話、世の中の構造を新しいものに入れ替えなければならない時期に来ていると思います。

 

時代は進んでいる。

明治下で作られた民法は現代には合わないし、

古い時代を引きずったままの人は意識改革しなければならない。

 

自分がいる世界が、一番正しいと誰もが思っている。

自分がしていることがもっとも正道と信じ切って生きている。

 

だから

⇒自分に危害が及ばない限り、自分自身を・自分が属する世界を疑うことはない。

 

「一部の戯言だろう」とマジョリティの側に立つ人間は言うでしょう。

自分が安全を保っている領域を侵されたくないから。
自ら今ある既成概念を疑ってみるという、レベルの高い行為をしてまで、そこにエネルギーを使ってまで自分の正しいと信じる世界を侵したくはないから。

 

自分が正しいと信じる世界観を壊されるのは怖いし、自分とは無関係の他人の痛みや不都合を想像することは面倒くさいから。

 

でも、実はその「面倒くさい」他人が、身近にいたらどうだろう。
家族の中に、友人と思っている人の中に、いつもランチを一緒にしている同僚の中に、自分の本性を隠したまま、どうということもない顔をしているメンバーがいたらどうだろう?

 

あなたはそれでも守り切れるか? 自分の流儀を。

心をつなげないままで。

表面上、合わせて笑ってもらっているだけで。

 

 

カミングアウトなんてものが必要のない社会にしていかないとな、と思う。

誰もクローゼットの中に隠れていなくていいような。

自分の生き方とか、どんな人が好きとか、恋愛なんかに興味がないこととかを、

一個の人間の個性として普段着のまま話せるように。

オープンに、当たり前に、ふつうに。

「改めて物申す」みたいなふうじゃなくて

 

 

うちの子が大人になる前までの短い間に。

近い未来が、今よりもっと誰にとっても住みやすい世の中になればいいといつも思う。

親目線で考えてしまう。

お母さんが若い時には、こんなバカみたいなことがあったんだよ、と教えてあげたい。

「なんでそんなことわざわざ言わなくちゃいけないの? おかしんじゃね?」

とか言われたら、かえって嬉しいかもしれないな。

 

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みんな違って、当たり前

「みんな違ってみんないい」ということを、別に世の中の万人に押しつけているわけではない。

みんな同じでも、それはそれで構わない。

 

だけどさ。

人間って、異性愛者も同性愛者も、無性愛者も非性愛者も、

結局どんな人でも、全員、どこかしら違うよ(*^_^*)

 

だから同級生にも、同僚にも、家族にも、少しずつ自分とは違う部分を見つけてしまうわけで。

 少々嫌なことをされてもスルーして結局同調したり、ムカッとしてもまあ今回は許すか、みたいな感じでバランスをとっているだけなんだから。

 

自分の気持ちに蓋をして、ムリして合わせているだけということ、結構あるでしょう。

 

そもそも、人間って、みんな違うの!

みんな違って、みんないいの!

みんな違うのが、当たり前だから!!

 

今はまだ、カミングアウトという形式を踏まなければ理解してもらえない関係や個性がある。

だけど、その人の生き方やありのままの姿を、プライベートなことを、いちいち公言しなければならない状態にしている社会ってやっぱりおかしい。

その事実に、多くの人が気づいてほしいな。