安心してください。恋愛しなくても死にません
しばらくスマホの調子が悪くて自分のブログを見ることが出来ませんでした。
更新もせずにそのままになっていたので心配したけれど、
久々に覗いてみたらそれなりの人数の方が読みに来てくれていたようで良かったです。
なにか言葉にしておけば、誰かの参考になるかな、安心できる人もいるかな、
なんて始めたブログなので誰かしらの役に立つことがあるならば幸いです。
★
元々このブログを立ち上げたとき、LGBTの問題とかがじょじょに大きく報じられるようになっていて、おそらく自分も少数者の中に入るということに気づいたこともあり、なにか文章を書いておきたいと思ったわけです。
だって、自分と同じ状態の人(!)を探すのが困難だったから。
すんなり(?)LGBTの中に自分が入っていれば、また状況は変わっていたのかもしれません。
アセクシャルはそれ以外に属するもので、さらに少数派に入ります。
LGBTQIAという呼称もあるけれど、世間に少数派といわれる中でも多数派の側に入っていれば、もっと理解し合える人口も多いし参考にできることもあっただろうにと思います。
今でも思いますが、現在のようにアセクシャルなどという言葉がそれなりに認知されるようになり、解説してくれる人が以前よりはいてくれるからいいけれど、10年ほど前までは一般には出回っていなかったと思います。
そもそも性的少数者に関する言葉や情報自体が表立って出ていなかったと思いますが。
ほんと、今ですよね。
こんなふうにメディアでセクマイに関することを、みんなで理解しようみたいな取り上げられ方をするのって。
書籍とかでも紹介されているし、SNSでも発信されているし。
「ああ、もう少し後に生まれていれば、長い間悩まなくてよかったんだなー」
と思います。
★★
情報が少ないのって、本当に苦労します。
「同じ悩みを抱えている人が自分の他にもちゃんと存在しているんだ!」
それを知ったときの喜び。
それがたとえ一人でもいいから発見したときの安心感。
これは今でもはっきり覚えています。
だから、同じことで悩んだり不安な人に、「それ、全然おかしくないし、病気じゃないから」と伝えたくて長々と書いているのだと思います。
さまざまな情報を簡単に得ることができる時代になったことと、
そこで得た情報を自分が納得して取り入れることができるのとは違います。
いや、いや。
自分がみんなと違うはずがない。
みんながいる輪から、自分が外れているわけがない。
わたしが恋できないわけがないじゃないか。
そうやって、頑張ってしまう人が少なくないと思います。
人って、どこかしらみんなと違うのに。
頭では分かっているのに。
それが自分以外の誰かに当てはまることならば、冷静に判断できるのですが。
「そのままの自分でいいんだよ」
とか、使い古された言葉をあまり使いたくないのですが、
誰かを好きにならなくてもいいんだよ。
だって、なれないのでしょう?
そのままでいいじゃない。
直そうとしなくてもいいんじゃない?
あなたは、そのままのあなたでしかないんだから。
やっぱり、そんなこと言いたくなります。
恋愛感情がわいてこないのに、恋愛したフリしなきゃいけないのって、本当につらいですからね。(経験上)
好きとは言えない人に、「オレのこと好き?」と問われて、
申し訳なさから「好きだよ」答えることの後ろめたさと白々しさ。
★★★
「好きな人ができないんだけど〜」みたいなノリではなく、
心の底から「恋愛って何なのー??」「どんな気持ちになれば、恋しているっていえるんだろう」と考え、それが出来ない(異性愛にしても、同性愛にしても)ことが病気かもしれないと本気で悩んでいたこともありました。
なにしろ世間では、恋愛して結婚して〜という流れがオーソドックス、というか当たり前のような風潮だったので。
恋愛感情がわかないのは「まだ巡り合っていないだけ」「いつか好きになる人ができる」
ということらしく、時が経てば解消するものと片付けられがちですが、一向にそんな気配はやってこなくて(^_^;)
でも、うすうす、自分のこの感じは誰かの出現によって変わるものではないことも気づいていて。
だからアセクシャルという所属できる場所があり、
それがたとえ少人数であっても同じ状態(症状みたいなもの!)を感じている人がいるといることを知ったときには、極端な話、「生きていてもいいんだな!」くらいの勇気がうまれました。
自分とは何者か?
いい歳をして自分探しみたいなことを表面下でやっていたわけです。
だって、アセクシャルという言葉と出会ったのが、30代後半ですから。
ふつうに社会人やってきた人間が、心の底では定位置を決められない、
どこか人間的な本質の部分にクエスチョンマークをつけたまま生活している。
わたしって何者? みたいな、いつまでも欠けた部分の自分探しをしているみたいで。
他の部分はなんとなく分かってもくるんです。
いい歳だし、それなりに経験したり、読書もして知識量は増えている。
だけど、「性」という根本的なところが(わたしは根本と捉えている)うまい着地点が見つからずにふわふわと放置されて。
長い間、ずっと。
その不可解さと気持ちの悪さ。
みんなが出来ているという「恋愛」というものが、自分にはできない。
(それだけは分かる)
それを一つの性的傾向として捉えても良いという判定を誰からもどこからもされず、
自身の精神や肉体に欠損があるに違いないという恐れを隠しながら、平気な顔をして生きている。
いくら性の多様性が世間的に理解され、認知されてきている現代においても、
一人で誰にも言えず(まだまだ平気でオープンにできる人はそれほど多くないと思います)、ひっそりとネットなどで仲間探しをしている人も少なくないと思うのです。
だから、彼ら彼女らに何度でも言いたいのですが、
人のこと、恋愛的に好きになれなくても、それは別に病気でもなんでもないから。
あんがい、たくさんいるから、そういう人。
そんなことで悩まなくていいからね。
誰かのこと好きにならなくても、それで死ぬわけじゃないから(^o^)
究極のところ、そこです。
自分に合わない恋愛なんてものをしている時間があったら、もっと自分の極めたいことに時間を割いてください。
そのほうがずっと自分を活かすことになります。
自分の才能やエネルギーを興味のないことに、みんなと歩調を合わせるために使わないでほしいです。
これは、自分の体験と反省からですけどね。
生きている時間、心身になんの不調もなく健康に生活できる時間って、人によって違います。自分の持ち時間を有効に使ってもらいたいですね。
なんて、自分の子供に言えばいいようなことを書いていますが、
せっかく時間をとってこれを読んでくれる方には、
自分を大切にして。
そのためには、心にもないこと、本音じゃないことに時間を費やさないで。
他にいっぱいやることあるんだから!
と伝えたいです。
恋愛なんて、しなくたって死にやしません。
大丈夫。保証します(*^^*)