AセクによるAセクのためのブログ

長いアセクシャル人生、こうやって生きてきたよということを綴ります。Aセクの結婚、友情結婚、善きパートナーについても書いています。

セクシュアル面の偏見は消滅しないが薄らいではいる

6月も半ばになり、ようやく梅干し用の梅を買ってきました。

 

去年はじめて漬けてみて、
できていく過程を見ながら過ごす日々がなかなか面白かったし、
自分で作った梅干しを一年通して食べられるというのは
気持ち的にちょっと贅沢なような、
暮らしに余裕を持てている、そんな気になりました。

 

まだ少し青い部分があるのでザルに広げて追熟させています。
2、3日もしないうちに梅特有のあまーい香りが漂うことでしょう。
幸せになる香りです。

 

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さてさて、
ニュースやドラマ、映画などでも
性的少数者に触れられた問題が取り上げられることが日常化してきて、
あんがい壁は取り除かれたのではないかと錯覚してしまいそうにもなる昨今。

 

確かに、異性愛者と同性愛者との垣根はだいぶ除かれてきたような気もします。
認識という面で。

特に若い世代は多様性が日常化してきている中に生まれ育ち、今後ますますフラットになる可能性のある社会で暮らしていくでしょう。

 

「同性としか付き合えないから」とか、
「付き合っている人って、彼氏じゃなくて彼女なんだよね」

なんてことを周囲に言っても、これまでほどには引かれないだろうし、受け入れてくれる人も以前よりずっと多くなるはずです。

 


それは啓蒙活動というか、
マイノリティの側の人たちが声を上げ続けてきたことの結果だと思います。

 


どんなにこれまでの常識とは違うことでも、
日常の中に刷り込ませてそれが当たり前という前提を築いてしまえば、
変なことは変じゃなくなるわけです。

 

当然、ちっともおかしなことじゃないのに世間の偏見にあったり、
あるいはなぜかマイノリティの側に押し付けられていた事がらも、
受け入れる側の態勢が整えば、社会全体でも認めざるを得ないわけです。

 

 

できちゃった結婚」というのがありました。
ご存じの通り、結婚する前に先に妊娠が発覚し結婚に至るものですよね。
結婚⇒妊娠⇒出産という、
これまでの順番を崩して結婚になだれ込むイメージがつきまといますが。


これが万人に受け入れられるとか認知されたとか、
あるいは結婚が決まらないカップルに推奨するようなこととは思えませんが、
今では「授かり婚」などとプラスのイメージに名称を変えて社会に受け入れられる形になってきました。
まあ、生まれるものは受け入れざるを得ないわけだし、なんとか親や親族にも納めてもらうしかないわけです。


(順番は守った方がいいという意見に、今もってわたしは賛同するのでこんな言い方になるのですけど)

 

話を戻すと、いくらこれまでの過去の事例で社会に周知されなかったことでも、繰り返しそれが行われたり、
当然のことながら当たり前のことをきちんと通すことで、善かれ悪しかれ必ず世論の大勢を占めてくるのです。

 

そういう周知が上の世代にもなされ、さらにこれから新しい認識が広まった世の中に生まれ育つ人が増えれば、
必然的にこれまでマイノリティと言われてきたことは、マジョリティの側に移っていくことになります。

 

思いきり個人的で、人間そのものであるセクシャル面で大勢とか少数に分けられてしまう事態がそもそもおかしいわけですが、
それも少しずつ確実に進歩しています。

 

時代は間違いなく変わるし、
セクマイに関する認知の進度はここ数年本当にめざましいです。

 

当たり前のことが当たり前である社会に。
こんな人間として当然のことが、べつだん議論の対象になったりしないように。

 

今後もこういう動きが加速すればいいなと思います。