AセクによるAセクのためのブログ

長いアセクシャル人生、こうやって生きてきたよということを綴ります。Aセクの結婚、友情結婚、善きパートナーについても書いています。

男女の意識の違いはまだまだ大きい。

こんにちは。 

 

結婚して、子供が生まれて40代になり、人と一緒に暮らすことの楽しさと大変さ。

独身の頃になんとなくしていた想像と現実の間には、雲泥の差があります。

 

結婚してからは、仕事と育児と家事にかける時間と労力の配分をずいぶん考えるようになりました。

 

 

なんといっても感じるのは、男女の意識差の根深さ

これは大方の家庭で共通の問題、改善してほしい点だと思います。

 

 

我がパートナーはよく動いてくれる方だと思います。

子供が保育園に通っていた時は朝送っていたし、今も土曜日に学童まで送るのは彼の役割。

ゴミ出しや掃除機掛け、朝の食器洗いや洗濯物を畳むのも仕事です。

 

ここであえて、「やってくれている」「手伝ってくれる」とは書きません

してくれて助かるとは思うし、ありがたいとも感じます。

でもそれは一日の内で限りある時間のなかで、その部分を誰かが担ってくれればわたしの時間が増えるからという意味でです。

 

他にやることがたくさんあるから。

家事は無限か! と思うほど、次から次とやることが出てきます。

少しでも数をこなしてもらいたい。

 

 

第一、

「手伝ってくれて助かった。ありがとう」

 

という言い方は、

見方を変えれば、妻であるわたしの上から目線の物言いなわけです。

 

本来、平等に行うはずの物事に対して一方的に自分が主導権を握る立場になって、

「よく手助けしてくれたね。ありがとう」

なんて、もしも会社で同等の立場の人に言われたら、

「なんで感謝されなければならないの? 私はあなたの部下じゃない」

とカチンとくる人もいると思います。

 

感覚的にはそれと同じ。

家の中において、夫も妻も同等なはずです。

そこに上も下もないわけです。

 

 

日本に長くとどまり続けた家父長制の影響もあり、

男に生まれてきただけで既得権を持っていると勘違いしているのが男性です。

でもこれは男性だけを責めることでもないし、責めるにはかわいそうな部分もある。

 

だって、これまでの慣習で男は女を所有しているという環境の中で、
親世代、その前の世代もずっとその制度のもとで暮らしてきたんだから。

 

男だからといって、特別な権利が何の努力もせずに生まれたときから付いているわけではないよ、と教えたところで「はぁ?」と薄ら笑いを浮かべるだけでしょう。

 

そんな時に偶然目にしたのが、

「一人一殺」

という言葉。

 

女たちの中で使われた時代があったらしい。

 

物騒な言葉だけど、これは男女の意識差をなくすために、
まずは家庭内において妻が夫を変えていく、教育していくという意味で使われたらしいです。

 

上野千鶴子さんと田房永子さんの共著

『上野先生、フェミニズムについてゼロから教えてください!』

を読んで知ったんだけど、
わたしもまさにそれを思っていました。

 

物事なんでもそうだと思うけれど、
広く一般に伝えたくても、聞いてほしくても、手助けしたくてもとてもできないことがある。

そんな時、わたしはまず目の前の対象に向けて最善を尽くすしかないと思っている。

救える相手は少なくても、その人が助かり、今度はその人が他の誰かに伝えていけばいい。
そういうつながりが、広がっていくのが理想です。

 

 

フェミニズムというと、敬遠してしまう人もいるかもしれないけれど、

自然と身についてしまった男性意識に疑問を持っている世の女性はぜひ知っておいて損はない。

 

子供たちが大人になった時に、
今よりもっと夫婦間でも社会の中においても、
男子だから女性だからという意識差が埋まっていればいいと
親の立場で、一人の女性の立場で思うから。