親の言葉が子供に与える影響
こんにちは。
日頃から、子供に向かいジェンダーに対する差別的な発言をしないようにしています。
(というか、わたしにはこの部分に関して元々差別がないのだけれど)
でも、ふざけて思わず口にしてしまうことがある。
「男の子なんだから、頑張りなよ!」
とかの。
(わが家には小学一年生の男児がいる)
でも、男の子だからなんなの? という話。
女の子だって、というより男も女も、
「小学生みんな頑張れ!」ということをただ伝いたいだけなのに、
なぜここで「男の子なんだからしっかりしなさい」とか「男の子なんだから負けるな」なんてことを言ってしまうんだろう?
例えば母親がテレビを見ている時に性を超えた表現に対して
「男なのにこんな格好してヤダヤダ!」
「この人、あっちの人だったんだね」
「男なのにピンクの服ばかり着ていてなんか変」
などというたわいもないことを口にしたとする。
それを聞いていた子供は、物心がついていなくても、
「お母さんはこういう人を嫌いなんだ」
「男の子がこういう格好をするのはおかしいんだ」
「ピンク色を選ぶのは女の子と決まっているんだ」
と刷り込まれる。
こうして家庭内での性差別が自然と、あまりに日常的に何の罪もなく植えつけられていく。
チママンダ・ンゴズィ・アディーチェさんの『フェミニスト宣言、15の提案』
の中でも触れられている。
「ジェンダーロール(社会から期待される性別による役割分担)」はまったくナンセンスな考え。
結婚をご褒美とする考えも問題。結婚をゲットするために女性が幼いころから料理などを学ぶ必要はなくなる。
世の中がジェンダーロールをすごく早い時期に刷り込み始める。
男女の服の色とか。非常に深いところで私たちを条件づけているため、その役割が自分の本当の欲望やニーズや幸福と正反対の時でさえ、つい従ってしまう。
もしも親がそういう考えを持った人ということを知っている子供は、自分がジェンダーギャップを抱えていたり異性間恋愛に興味がないと自分の指向をに気づいた時、本来ならば一番理解してほしい人に心を閉ざすことになるだろう。
それは最も生きにくいことではなかと思う。
例え誰が理解してくれなくても、一人でも味方になってくれる人、それも身近にいる人が受け入れてくれることは子供にとって大きな安心と自己肯定力を生むと思う。
わたしは異性婚でなくてもいいと思っている。
相手が同性やその他のカテゴリーに属する人でも、その人の人間性が好きになったら一緒になればいいと思っている。
自分の子供にもそう言うつもりだ。
もしも自分の子供が、将来誰と付き合うかで悩んでいたり、そんな素振りを見せたら迷わず
「自分がいいと思う人を選びなさいよ。男の子とか女の子とかじゃなく」
なんて言うと思う。
もちろん親にも意見があって、だって嫌なものは嫌なの。生理的に受け付けないんだよね、ということはあると思う。
それはそれでいい。
だけどまだフラットに何でも吸収できる子供は、そんな親の影響をモロに受ける。
一番身近にいる親の意見や、ものの考え方、雰囲気とかを瞬時にキャッチしてしまう。
そんな子供の前では、できるだけ偏見を控えて発言するのを意識した方がいいのではないかとも思う。
でもそもそも親が偏見をもったり、自分が与えられてきたわけだから、
子供に対しての接し方以前に親が意識を変えていかなければならない問題なのだろう。
学校でジェンダー教育をするとか、家庭でも反映できるように親世代への啓蒙も必要なのだと思う。
家父長制度とか、男に生まれたことがすでに既得権を持っていたりという世の中にあまりに長く居すぎた感もある。
次の世代には引き継ぎたくないなあ、自分の子供が大人と呼ばれる頃には今よりもっと性差が縮まっていればいいなと、わたしは思います。