AセクによるAセクのためのブログ

長いアセクシャル人生、こうやって生きてきたよということを綴ります。Aセクの結婚、友情結婚、善きパートナーについても書いています。

体、作っておいた方がいい。

こんにちは。

 

コロナに見舞われ、大雪に襲われ。
日本列島やられていますね(^^ゞ

 

雪が降って喜ぶのは子供と犬くらいなもので、
あとは雪慣れしていない南の地域に住む方々かしら?(#^^#)

 雪国経験者としては「。。。」ってな感じですが、
まあ気持ちは分からないでもないです。

 

見ている分には「きれい!」とか思いますもんね。

 でも、雪かきで使う体力、相当なものがありましてよ (;^_^A

 

 現在、結婚もし子供もいて、日々の忙殺と戦いながらもぬくぬくと暮らしているAセクの一人なわけですが、
子育ては体力勝負でもあるので、ジム通いをしてウォーキングと筋トレで体力維持・キープを心がけています。

 

運動と頭脳が強力に結びついていることは、昨今の研究から明らかになっていて、

今頃になって学生の頃に言われていた「文武両道」って、本当だったんだなーと思いますね。

 

運動することでどんないいことがあるかというと、

  1. 集中力が高まり、メンタルが安定する。
  2. ストレス解消になり、ストレスに強くなる。
  3. 幸福感がUPし、ポジティブになれる。
  4. 筋力UPはそのままダイエット効果がある。
  5. 適度な運動は睡眠の質を上げる。

などのことが分かっています。

 

周囲の人を見渡しても、運動をしている人で、落ち込んでいる人とかあまりいなくありませんか?(#^^#)

自分で筋トレしていても思うけれど、筋力を使って疲れるというよりは次へ向かう行動はかえって積極的になっているのが分かります。

なんだか、気持ちが明るくなるんです。

 

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 20代の頃から体づくりには興味があって、将来的には長生きするのが人間に課された宿命だと思ってもいたので、
自分の足でいつまでも歩けるように、パートナーや成人した子供、友人たちと好きなところに旅行へ行けるように足腰、筋肉のキープをしておかなければと年寄りクサいことを考えていました。

 

でも案外今それが当たっていて、その頃の習慣からか、今でも体を動かすことが億劫になることもないですね。

 

それに、病気や薬等の副作用等以外の肥満は、基本的に自己管理力の低さだと思っている方なので(;^ω^)

 

 自分の体は進化させメンテナンスし続け、いつまでも使っていかなければならないわけです。極端な話、死ぬその日まで。

だから自己管理は大事だと思います。 

 

 Aセクの場合、「恋愛があることを前提とした」結婚やパートナー選びをするという概念にしばられる人は、将来的に独身で過ごす可能性も少なくありません。


もちろん誰と暮らしていても同じですが、自分自身の身は自分で守らなけければならないし、そのためにはいつでも自由に動ける体は作っておいて損はないでしょう。

 

新年に向けて何か新しいことを始めようかな! と考えている方にはぜひ運動習慣をつけること、ジム通いをスタートさせてみるのはいかがでしょう。

今よりもっと前向きな自分になれますよ!(たぶん)

 

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パートナーを持ったり家庭を作るのって悪くないよ、という話

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こんにちは。

 

2020年はコロナに始まりコロナに終わるような流れですね。

今年初頭に、みんなでカラオケでわいわいガヤガヤとやっていたのが懐かしいです。

だんだんこういう集まりも減っていくのかもしれませんね。

必要のないものって結構ありますからね。

謝恩会での出し物なんかも。練習のために仕事を切り上げて集まったりとか、余分な力と時間を浪費させないでもらいたいなぁ。

 

 

さて、今回は誰かと生活すること、家庭を作っていくことって悪くないよ、ということを書きたいと思います。

 

面倒だなとか、自分にできるかなぁと不安に思っている人もいるかもしれませんね。

 

結婚をするか、すべきか、どうあるべきか悩んでいる方、
結婚じゃなくてもいいけれど誰かがそばにいてくれればいいと思っている方、
恋愛的な気持ちの「好き」がないけど本当に特定の人とパートナー関係を築けるかなぁと悩んでいる方、

たくさんいると思います。

 

アセクシュアルはそもそも自分に合う人がみつかるかという、
その最初の場面で候補者数がせばまっているからなおさらですが(;^ω^)、

 

とはいうものの、異性愛者の方や同性愛者の方でも特定の一人のパートナーを持つ、将来をともにしていこうと決意することは、数ある人生の選択の中においても大きなことだと思います。

 

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 「恋愛⇒結婚⇒妊娠⇒出産⇒育児」のレールに疑問を持ってはいるものの、
将来にわたるパートナーは欲しいと思っている人が多いのも事実です。

 

 自分自身のことを振り返ってみると、そもそもアセクシュアル気たっぷりなので、相手に恋愛的なものを求めていませんでした。

でも一通りのことをやってみたい性格なので(!)、結婚もしてみたいし、子供も産んでみたい! 

そんな思いはあれどいかんせん、こちらから積極的に誰かと関係を結びたいという強い気持ちになれないわけです。

 

なれないというより、ならないわけです。

 

そこに、本当に偶然フリーのパートナーがいたという感じでした。


この人と共同生活をしたいと思った一番の理由は「生命力がありそう」ということで、そこには少しも色っぽい話はなかった次第(^^ゞ

お互いにいい歳だし結婚しよう! と流れのままになりましたね。

努力も乗り越えなければならない障害も何もなく、実に風に吹かれるまま自然に決まった結婚でした。

 

なんだろう。
わたしはたぶん、結婚してからの方が、変な表現だけど自分が「より人間ぽくなった」ような気がします

Aセク云々関係なく、わりあい淡々と事を進める方ですが、人としてのかかわりがすごく多くなりました。

「人間味が出た」というところなのでしょうが、一対一でパートナーと向き合うようになったということかもしれません。

 

結婚って、相手と話し合ったりして向き合わなければならない状況が多くあるわけです。

子供のことにしても、リビングの家具を一つ買うにしても、わりあいよく相談しあい、話し合います。

そうやって会話を重ねることで、人って愛着が重なり合っていくのだと思います。

相手との経験値が増えるというか。

同じ時間や経験を積み上げることでしか、みえてこないものってあります

 

恋愛感情の有無は全く関係ないですね。

相手のことを一人の人間として信頼して、一人の人として尊重するということです。

信頼し信頼される関係を築く努力をすることで、やはり人は成長していけるのではないかと思います。

 

 

こういうことは、わたしの場合はですが、ただの付き合いの中からは生まれてこなかった感情だと思います。

こんな風に10年程度の結婚生活を営んでみて、「夫婦」という形はどこか特別な気持ちを生み出し、相手への責任とか尊重とかも自ずと湧き上がってくるものらしいというとが分かりました。

独身時代に、相手へ恋愛の気持ちがないんだけれど大丈夫だろうかと心配していたけれど、結婚で得たパートナーには好きとか嫌いとかを超えた感情が付いてくるということです。

 

コロナ時代で誰かと新しく知りあう機会が減ったり、感染予防のために新たな出会いの機会を手放したりしなければならない状況もあるかと思います。

でも出会いはいつ訪れるか誰にも分かりません。

 

こんな状況でも乗り越えられるかも、なんとかなるさと思えるのは、
家族とかパートナーにどうでもいい話なんかをできる、気を抜ける時間と空間があるからかもしれませんね。

 

 

恋愛感情は、感情のいちパートに過ぎない

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こんにちは。

 

わたしは自分がAセクという部類に属しているらしいと意識してから、はじめてLGBTとかセクシュアルマイノリティとかの言葉を知り、理解を深めた口です。

なにしろそれまではそもそも自分が何かの少数派に入っているなどとは夢にも思っていませんでした。

 

どんな分野においても、わりあい少数の方とか弱いチームなんかを応援してしまう傾向はあります。
「人数少ないのによくやっているな。頑張れ!」「一点でもいいから返せるようにがんばれー」とか。

 

だいたいにおいて、人って自分はマジョリティの側に属していると考えがちではないだろうか。

たぶん、わたしはそうだったと思います。

 

だから、自分自身が少数の側にいるなんて衝撃でした。
それも、セクシュアリティの部分で少数派に属しているとは本当に驚きでした。

 

それまでも、性的なことに対して、

なぜ? なんでそうなる?

ということは、友人とや付き合った人との間で思ったことはありましたが、
実際に自分の性的指向に、どうもいわゆるマイノリティ側の一名称「アセクシュアル」がぴったり合うみたい! と知った時は衝撃で、ちょっと時間が止まった感がありました。

 


恋愛ありきの世の中に思うこと

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どうして恋愛感情が愛情より勝るのか、まったくもって意味不明です。

たくさんのことに興味があり、その物が好きになったり、愛おしく思ったり、大切にしたいと思ったり、かわいくて仕方がないと思ったり、大事な存在がいたりあったりしても、

それが「恋愛」と結びつかないというだけで、「冷たい」とか「人生おもしろい?」などという発想になってしまうのは、図る物差しがその人たちにはその部分しかないから、あるいは「恋愛感情」をもっとも重要視しているからということになるのでしょう。

 

わたしにしてみれば、そこに大きな違和感を覚えてしまうのだけれど。

恋愛感情って、人間の感情の中の一パートを担っているにすぎない。

それを感じられないのはかわいそうと言われても、そういう方面からしか考えられない人の方がわたしにはかわいそうに思えるのだけれども。
ちょっと、思考が偏りすぎているんじゃないのかな、と。

 

人の感情の種類ってたくさんあるわけです。

人が生きていく中で「恋愛感情」の占めるウェイトって、そこまで高い必要なんてないんだけどな。

 

多様性とか叫ぶ前に、自分自身の中に多様性を植えつけようよ、と思う。

そんなたかが一部分の感情を、人間のすべてかのように捉えることに疑問をもった方がいいのではないか? 

恋愛至上主義者に対してそう思う。

 

感情の種類のどの部分を一番大切にして、どんな感覚が鋭いのかなんて、完全にその人の自由です。

 

みんなそれぞれ、いちいち違う。

 

嗅覚に優れた人もいれば、視覚に優れた人、平衡感覚に特別に優れた人とか様々いるわけです。

感情も同じで、喜怒哀楽、好き嫌い、広く親和力とか親切心とか種々ある。その中でどこが強くて、どれが弱いかは人によって比重があって当たり前です。

 

人間って、もっと大きいですよ。
様々角度から物事を見られるはずだし、いろんな感じ方捉え方ができるはずだし、好きの嫌いのやって時間を取られ、集中力を奪われているのはある意味時間の浪費です。
ヒマというか、もったいない。

 

もちろん恋愛感情のもつれを楽しんでいる人もいるから、そこに喜びを見出している人もいるから、全否定なんかはもちろんしないけれど。
ただ、ちょっと偏りすぎだよ。

 

自分の興味だけで他人を図らないでほしいな。

 

裏を返せば、自分の個性の押し付け、多様性に目を向けていないことの証明をしているということにもっと気づいてくれればいいんだけれど。

 

 


 

アセクシュアルの自分が今もし独身だったら

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こんにちは。

 

恋愛感情を持てなくても、結婚したいとかパートナーを持ちたいという方。

いい人がいるのだけれど、性的関係はちょっと無理という方。

 

アセクシュアルの中にも誰かと一緒にいたいと思っている人は多いんです。

それは好きとかの気持ちとは別の感情です。

人間としてというか、触れ合うとかとは別の意味で人肌が恋しいというような。

誰かがいるだけで部屋の温度って上がるし、それは暖房器具とも違う特殊な温かさで。

 

誰か同じようなタイプの人が近くにいてくれたら安心だし、寂しくないし、ということは多くの人が思うところです。

 

独身を貫くと決めている人もいれば、いい人が現れたらその時には同居とか新しい形でのパートナーシップを求める人もいるでしょう。

 それはセクマイに限らず、結婚しない人が増えている昨今の状況では、珍しくもなんともない選択です。

 

特にアセクシュアルノンセクシャルの方の中で、

自分を受け入れてくれる人がいるを見つけるのは第一関門ですからね。

「好き」という気持ちが持てないんだけど……と考え続けて、あるいは仕事に没頭するなどして気づけばいわゆる結婚適齢期を過ぎていた、という人も少なくないと思います。

そんな状態で相手なんか見つけられるのかな、と心配ですよね。

 

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わたしは偶然でしたね。

ホント、今のパートナーと出会っていなければ今頃どうしていただろう。

もう一つの別の生活がそこにはあったはずなんだよなぁ。

 

なんとなく、誰かと一緒に暮らすんだろうなと安易に考え続けて30代も後半になっていたけれど、今思えばあまりに考えなさ過ぎていたような気もします。

 

でも、当時は自分がアセクシュアルであるということを自認できていなかったのです。

そんな名称があることも知らなかったから。

ただ、「誰かを恋愛的に好きになる気持ちはないよなー」とか、「でも結婚したら子供が生まれるんだよなー」といった、まるで子供のような結婚観でした。

 

30代も後半で「男女がいれば当たり前に子供ができる」と考えていたおめでたさ。

「将来的には、子供もほしいなー」なんて考えていたわけだから、今思えば、世間知らずで恐ろしい独身時代を過ごしていたことになります。

 

ただね。

結果オーライなのですが、

あまり考えすぎなかったことがよかったのかもしれません。

 

あー、この人と結婚するのかもなー。

いてくれると安心だし、これでいいのかも。。。

 

そんな感じで決めました。
(ちなみに初めの印象はあまりよくありませんでした(;^_^A)

 

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今もしアセクシュアルということが自分で分かってなおかつ独身でいたならば、
同じ性的指向を持った人たちと集ってコミュニティを持ちたいですね。

今はSNSとかでつながることが以前よりずっと容易だし、誰かが旗を振れば乗ってくる人は少なくないのではないでしょうか。

情報収集や交換が簡単になり、いい時代になりましたね。

 

それで、将来的には同じマンションなどに入って、お互いに安否確認しあうかもしれません。
誰かと暮らしたくなったら自由に出ていける決まりにしておいて、束縛されない関係を築ける人同士でセクマイ専用のマンションにするとか。

 

老後とか認知症とか、今はまだ想像できない遠い未来のことに思われるかもしれないけれど、必ず訪れることですからね。

現状、配偶者とか子供のいない一人暮らしの高齢者は、容易に部屋を借りられないパターンもあります。貸す方も、連帯保証人や死後の引き取り手の確保はしなければなりませんからね。

 

 今も独身ならば、現状を楽しむことに加え、今後の生活に対し経済的不安やコミュニティが築けていない老後といった不安の解消のために時間をかけると思います。

 

 

いい時代になったと思いますよ。本当に。

アセクやノンセク、その他のセクマイでも性的関係がNOの人同士を引き合わせてくれる結婚相談所まである時代ですよ。

恵まれているとしか思えません(*^▽^*)

 

もしも本気で結婚とかパートナーがほしいと考えていたり、

性交渉NOだけど子供がほしいと考えているセクマイの方がいたら、

無料で相談に乗ってくれる結婚相談所もあるので、気軽に問い合わせてみるのもいいと思います。

 

 

特に子供がほしいと考えているアセク・ノンセクの女性の方は人より少しだけ早めに動くことを心がけた方がいいと思います。

二つの時間が余分にかかるためです。

 

①相手をみつける時間(ただでさえ相手をみつけるのに時間がかかる)

②妊活の時間(自然妊娠が困難な場合、それ以外の方法で妊娠を目指さなければなりません)

 

焦らせるわけではありませんが、意識しておいた方がいいと思います。

 

ふとした時に話せる、たのめる、頼れる人がそばにいるのは安心します。

 

 

****************

 独身生活を楽しむのもいいし、自分以外のことに時間を取られもするけれどパートナーや家族を持つのもいい。

どんな生活であっても、今の自分が喜ぶことをしてあげたいものですね。

 

 

 

アセクシュアルにとってカミングアウトとは?

こんにちは。

 

異性愛者が多勢であり、理解してくれる人のまだ決して多くはない社会において、カミングアウトすることで自分の居場所を作っていこうとする人たちがいます。

 

大勢の人と違う生き方をしていることを口外し、しかもそれが性にかかわることともなれば、ものすごく勇気のいることだと想像できます。

 

 

わたしはといえばカミングアウトなどせずに、のほほんと結婚生活を営んでいます。
日々の暮らしを楽しんでいます。

今のところカミングアウトする予定もありません。
それで生活はうまく回っているので。

 

今さら「Aです」と言ってみたところで、相手はおそらく「へえー」とか言った後、

「でも、結婚生活に大事なのって二人の関係を育んでいくことでしょう。そこには好きとか嫌いよりももっと奥深いものがあるよね」

というようなことを言うと思います。

わたしがパートナーの結婚観で好きなところは、「二人で育む」というところです。
正直「この人と結婚するのもありだな」と思った部分でもあります。

 

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目次

  

「ある」セクマイがカミングアウトをする理由

 

「ある」とは何を指すかといえば、恋愛感情や性的興味などのことです。
LGBTと呼ばれる人たちはそれらが「ある」という共通点があります。

ゲイの方でもレズビアンの方でも、相手を好きになる気持ち(恋心というやつ!)をお持ちなわけです。恋愛感情や性的欲求が「ある」わけです。

 

その対として、後で「ない」セクマイ=アセクシュアルのカミングアウトについて考えますが、

セクマイは大方「ある」人たちが主流を占めています

 

だからアセク・ノンセク(恋愛感情はあるにせよ)はセクマイに属していながらも端に追いやられる、さらに少数派なのです。多勢に無勢もいいところです(;^_^A

(LGBTQIAって、どこまでアルファベットを並べるんだ! と最初は思ったっけ)

 


それにしても、「ある」方々がカミングアウトをする時ってどういう時なのでしょう。

「したいからする」と「必要に迫られてする」場合が考えられますが。

  1. 同性に対して「ある」ことを周知してもらい暮らしやすくする手段としてして。
  2. 同性愛者と知ってもらうことで、カップルの場合は周囲に相手を紹介できる。
  3. 異性愛者からの告白をきちんとした理由で断れる。
  4. 結婚を勧める親や周囲に対して説明ができる。
  5. 同居(結婚)を考えている
  6. 「彼氏・彼女いるの?」と聞かれるのがわずらわしい
  7. 職場環境を良くしたい
  8. 隠すことに疲れた。オープンにして気持ちを楽にしたい。

 

たぶん一人一人に、一つ一つの理由があるのだと思います。

 

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恋愛感情が「ない」Aセクがカミングアウトする場合

アセクシュアルって、同じセクマイの同性愛者の方とも違い、カミングアウトをすることによって、こちらから何かを主張したり勝ち取る要素は薄いのではないかと思います。

 

もちろん

  1. 交際を迫られて、好きになれないから断る際の理由として。
  2. 恋人を作らないの、「結婚はまだ?」と聞かれて、興味がないことを示すための根拠として。
  3. 心苦しい。

 

などの理由からカミングアウトをする方はいると思います。

 

でも「この人(同性)と一緒にいることを認めてほしい」

という類の悩みは少ないと思われます。

 

むしろ

「誰かと一緒にいないことを認めてほしい」

「好きになれる人がいないのだから、結婚とか孫の顔をみせるとかは無理ということを認めさせたい

という何かの不在を容認してもらいたいという理由が大きいでしょう。

 

積極的に何かを認めさせて幸福を勝ち取るという、「ある」側に属するセクマイのカムに比べて、Aセクの方は別にカミングアウトしなければならないといった強い理由が思い当たりません。

 

恋愛感情その他の不在を容認してもらう幸福を勝ち取りたいのは、自分の自由がほしいから。

自由を保障してほしいからです。

だから早急にカミングアウトなどしなくても、失うものはありません。
これまで同様ふつうの生活ができます。

  

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相手との関係の中で

でもこれが、パートナーがほしいとか、結婚し家族の形がほしいといった他者を絡めたものになった途端、カミングアウトは必要不可欠となり、言わずに心にしまっておくことが苦しくなってくるでしょう。

 

自分も含め、Aセクとはいえ家庭を持ちたい人はたくさんいると思います。

「恋愛感情も持てないのに!」「性交渉はイヤなんでしょう?」

という声も聞こえてきそうですが、結婚の前提に恋愛があるという考えは違います結婚に恋愛感情とか別にいりませんから。 

 

誰かと共に生きていきたい。

生活を同じくするパートナーがほしい。

他愛もない、どうでもいいことを話してしまえる信頼できる人にそばにいてほしい。

 

これって、Aセクが嫌う「恋愛しなければ冷たい人と思われる」ことと反対のことではありませんか?

Aセクの方々って、別に人間味がないとか冷たいとかではありませんよね。

普通に人を思いやる気持ちってありますよね。

 

家庭を築きたいとか、近くにパートナーを感じながら生活したいと思うAセクがいても全然不思議ではありません。

 

もしも子供がほしいという明確な希望があるなら、パートナーと自然妊娠を試みたり(子づくり「できる」Aセクもいます)、二人で話し合って人工授精などにトライすることになるわけです。

性交渉不可の場合なら、なおさら両者で話し合わなければならないし、必然的にカミングアウトという形になるでしょう。

 

相手が受け入れてくれるかどうかが唯一の問題です。

相手も同じAセク・ノンセクと分かっているなら意思疎通もストレスがなさそうですけどね。

 

 

**********

同性と仲良くしすぎれば同性愛を疑われ、中世的な格好をしていればジェンダーを疑われる。

 

アセクシュアルは、誰かと「恋仲ふう」に歩いていないということで疑われる。

人に言ったところで、「?」と首を傾げられる。

 「人間味がない」

「好きになれない? そんなわけでないじゃん」

なんて言われたりする。

 

そんなわけないとかあるとか、それは本人が決めることで他人の感想を押しつけられるようなことではないのにね。

「犬派? それとも猫派?」「犬派」「えっ。それっておかしくない?」「おかしくないでしょ。これはわたしの判断だよ」というのと同じくらい変なことだし、大きなお世話だと思うのだけれど。

 

 


そもそもカミングアウトする必要なんてあるんでしょうかね。

しなければならない社会って、なんかおかしいよね。。。

……ということは前回書いたので、よろしければこちらもどうぞ。

 

my100yearslife.hatenablog.com

 

 

※今日書いたことは、あくまでわたしが感じていることです。

すべてのアセクシュアルの方に当てはまるわけではありません。

一つの属性の中には人の数だけ感じ方や捉え方があるので、その中の一つと思って読んでいただければと思います。

 

 

そもそもカミングアウトが必要な世の中が、おかしい。

こんにちは。

 

世間ではLGBTの認知度もあがり、今は同性婚の成立に向けて活動が活発になっていますね。

憲法や法律を遵守することは大切だけど、一方で時代によって変えていかなければならないものもありますよね。

もっと現在を生きている人間にとって有益な法改正をしてもらいたいものです。

ただ、それを決定するのが古い規則にがんじがらめになった頭の議員ではなんともならないわけで。。。

 

わたしはデモをするのも大事だけど、結局決定権を持つ議員を選ぶための選挙がもっとも大切で、そこで国民の一人一人が意思表示をしなければならないと思います。

 

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目次

 

LGBT啓蒙者に勇気づけられる 

さてさて、前置きが長くなりましたが、
昨今YouTubeなどを見ていると、カミングアウトして顔を公開していたり、表立ってLGBTの啓蒙活動をされている方をよく見るようになりました。

 

こういう方たちが先頭に立って、活動を推し進めてくれているんですよね。

 

YouTubeで活躍している方たちの姿を見て、希望をもらっている人たちはたくさんいると思います。

 

いいことですよね。
本人が気づかないところで、そっと誰かの役に立っているのって。

彼ら、彼女らの楽し気な様子を見て

「自分もマイノリティの側に属しているけれど、つらいことばかりじゃない」

とか、

「こんなふうに毎日を楽しく過ごせるんだ!」

と明るく前向きな気持ちになる人って少なくないと思います。

 

あるいは、

「大人になったら楽しいことも多そうだから、今はつらいけれどもう少し頑張ってみよう」

と未来に希望をつなぐ学生もいるでしょう。

 

カミングアウトする気のない人が大多数 

でも、その一方でカミングアウトなんかする予定もない人が圧倒的多数なのです。

公表しているのはほんの、ほんの一握り

 

大方の人は普通に、平凡に、当たり前に、穏やかに日々を過ごしたいと考えています。

いたって、ふつーに。

誰もがしている、ふつーの生活を、ただ、したい

 

だって、異性愛者がわざわざ自分が異性愛者であると公表したりしますか?

付き合う人に恋愛感情があることを打ち明けたりしますか?

 

「おれ、今度女の人と結婚することになったんだ」

とか

「すごく言いにくいんだけど……。実はわたし、恋愛感情があるの」

とか。

 

ん??

って、感じですよね。ふつう、言わないでしょ。

 

じゃあ、なぜマイノリティの側の人間は口にしなければならないの?

ここ、ものすごく人権的に不公平だと思うんですよね。 

 

こういう問題が沸き上がるのは、大勢の人に【誰もが「恋愛感情」をもち、「異性」と「結婚」するのが当たり前】という大前提があるからです。

それがスタンダードと刷り込まれてきた過去があるから。

 

そこに優劣をつけているような社会にNOを言いたい。

 

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あなたの中の既成概念が一番怪しい 

まじめな話、世の中の構造を新しいものに入れ替えなければならない時期に来ていると思います。

 

時代は進んでいる。

明治下で作られた民法は現代には合わないし、

古い時代を引きずったままの人は意識改革しなければならない。

 

自分がいる世界が、一番正しいと誰もが思っている。

自分がしていることがもっとも正道と信じ切って生きている。

 

だから

⇒自分に危害が及ばない限り、自分自身を・自分が属する世界を疑うことはない。

 

「一部の戯言だろう」とマジョリティの側に立つ人間は言うでしょう。

自分が安全を保っている領域を侵されたくないから。
自ら今ある既成概念を疑ってみるという、レベルの高い行為をしてまで、そこにエネルギーを使ってまで自分の正しいと信じる世界を侵したくはないから。

 

自分が正しいと信じる世界観を壊されるのは怖いし、自分とは無関係の他人の痛みや不都合を想像することは面倒くさいから。

 

でも、実はその「面倒くさい」他人が、身近にいたらどうだろう。
家族の中に、友人と思っている人の中に、いつもランチを一緒にしている同僚の中に、自分の本性を隠したまま、どうということもない顔をしているメンバーがいたらどうだろう?

 

あなたはそれでも守り切れるか? 自分の流儀を。

心をつなげないままで。

表面上、合わせて笑ってもらっているだけで。

 

 

カミングアウトなんてものが必要のない社会にしていかないとな、と思う。

誰もクローゼットの中に隠れていなくていいような。

自分の生き方とか、どんな人が好きとか、恋愛なんかに興味がないこととかを、

一個の人間の個性として普段着のまま話せるように。

オープンに、当たり前に、ふつうに。

「改めて物申す」みたいなふうじゃなくて

 

 

うちの子が大人になる前までの短い間に。

近い未来が、今よりもっと誰にとっても住みやすい世の中になればいいといつも思う。

親目線で考えてしまう。

お母さんが若い時には、こんなバカみたいなことがあったんだよ、と教えてあげたい。

「なんでそんなことわざわざ言わなくちゃいけないの? おかしんじゃね?」

とか言われたら、かえって嬉しいかもしれないな。

 

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みんな違って、当たり前

「みんな違ってみんないい」ということを、別に世の中の万人に押しつけているわけではない。

みんな同じでも、それはそれで構わない。

 

だけどさ。

人間って、異性愛者も同性愛者も、無性愛者も非性愛者も、

結局どんな人でも、全員、どこかしら違うよ(*^_^*)

 

だから同級生にも、同僚にも、家族にも、少しずつ自分とは違う部分を見つけてしまうわけで。

 少々嫌なことをされてもスルーして結局同調したり、ムカッとしてもまあ今回は許すか、みたいな感じでバランスをとっているだけなんだから。

 

自分の気持ちに蓋をして、ムリして合わせているだけということ、結構あるでしょう。

 

そもそも、人間って、みんな違うの!

みんな違って、みんないいの!

みんな違うのが、当たり前だから!!

 

今はまだ、カミングアウトという形式を踏まなければ理解してもらえない関係や個性がある。

だけど、その人の生き方やありのままの姿を、プライベートなことを、いちいち公言しなければならない状態にしている社会ってやっぱりおかしい。

その事実に、多くの人が気づいてほしいな。

 

アセクシャルの恋愛対象って?(その2)

こんにちは。

 

先日、パートナーと焼肉ランチをするために他県まで行ってきました。

入籍の当日、引っ越しする前日にも、記念として食事をした思い出深い焼き肉レストランです。

 

パートナーには、恋愛感情よりもずっと強い信頼をおいています。

この人といれば「たぶん大丈夫」という、根拠のない自信があります。

 

結婚に大事なことって、相手をどれだけ思いやるかということと同じくらい、
一緒にいて空気みたいというか、生活の一部分になるくらい自然な存在にしてしまえるかということではないかと思います。

 

なんとなく。
「結婚」という種類の「人対人」の付き合いって、ゆるーく、なだらかになんとなーく続けていって、気づいた時に「お互いに歳をとったね」とそれまでを振り返るような感じになればいいなぁと、わたしは思っています。

 

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さて、今回は前回からの引き続きで「アセクシャルの恋愛対象」という摩訶不思議なテーマの2回目です。

 

アセクシャルの人が恋愛対象に選ぶ人ってどんな人?」ということに対するわたしなりの答えはこちらです。興味のある方はどうぞ。

my100yearslife.hatenablog.com

 

目次

 

他人から恋愛対象とみられることはあるの?

では反対に、
アセクシャルの人は他人から恋愛対象とみられることってあるのだろうか
あるいは、恋愛対象としてみてもらえるのだろうか?

という問題。

 

結論からいいますが、もちろん、あります(*^▽^*)

 

すごく、困るけれど!(;^ω^)

 

こちらにはそんな気はないのに、恋愛対象として見られることは当然ありますね。

当たり前だけど、見た目はめちゃくちゃ普通なわけですから。

「わたしには何を言ってもムダ! だって、誰のことも好きになれないんだからねっ!!」みたいなオーラでも出していない限り、「ふつう」の恋愛相手としてみられるのは当然といえば当然で、仕方のないことです。

 

「わたしって、モテるのね」と、けっこうその気になれるAセクの人はいいのですが、たいていすぐに困惑することになります。

 

だって、返せるものがないということが分かっているから。

最初から恋愛感情を持てないこととか、性的関係は望まないことを伝えられるならいいけれど、そんなことはほとんど無理な話ですよね。

 

こちらにそういった恋愛が絡んだ感情がないので、付き合ってみて進展する可能性がほとんどないということが直感から、また経験から分かっている人にとって、誰かと恋人関係を強いられる誘いは、結局時間の無駄遣いになります。

自分の時間(ということは、自分の人生)と、相手の時間(ということは、相手の人生)を奪うことになります。

 

お金はその後稼げばいいけれど、時間を増やすことはできませんからね。
その人が生きている間の持ち時間は決まっているわけだから、お互いに不毛な時間を費やすのはもっともバカげたことと言えるかもしれません。

 

時間泥棒は、絶対にやっちゃいけないことの一つです。

 

というわけで、極論すれば、「恋人になってほしい」「付き合ってほしい」というお誘いには、NOと言った方が誠実だということです。

 

お付き合いして「恋愛感情」が生まれた! 

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でもその一方で、やっぱり経験してみなければ分からないという人もいます。

自分から人を好きにはなれないけれど、もしかしてそれは本当にキッカケがないだけかもしれません。

 

誰かとお付き合いしてみて、恋愛感情が生まれる可能性もあるわけです。

その人を「好き」と思う気持ちが沸き上がってくるかもしれません。

「好き」の気持ちが出てきたら、その人には「恋愛」できる部分が体の中にあるということ。
その恋愛を楽しんだらいいと思います。

 

これまで「恋愛感情なんてない」と自分で決めてかかったり、誰かに話してしまったとしても、そんなこと気にしなくてもいいです。

性的指向は変わるものです。変わったら変わった今の自分を楽しめばいいだけのこと。誰も責めたりしないし、責めるようなことでもありません。

 

誰かと心をつなぐことは、とても幸福なことです。

それが恋人という対象であれ、家族であれ、親友であれ。

 

お付き合いしたけれど「恋愛感情」は生まれなかった!

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反対に、実際にお付き合いしてみて、やはり自分には「恋愛感情」というものが生じてこないという場合

 

もしかしたら、本当に、Aセクが言われて嫌な言葉「まだ出会っていないだけなのでは?」状態なのかもしれないし、

あるいは本当にAセクの可能性が高いということだと思います。

 

性は流動的なので、どんな場合でも今現在のライブ状態の自分の気持ちを大切にすることが一番なのかなと思います。

その後変わってもいいし、今の自分のままの状態で死ぬまで変わらないかもしれません。

 

先のことは分からないので、現在誰かに恋愛感情を持てなさそうなら、それはそれで自分が没頭できるものをみつけて、周囲が恋愛がらみで浮足立っている時にも冷静に、淡々と理想とする自分自身を作ることに時間をかけた方が賢いと思います。

 

「恋愛しなければならない」と思い込んでいた過去の自分に言ってやれるとしたら、そういうことですね。

 

 

結論

 

変な結論ですが、結局のところ、

アセクシャルの人側からの恋愛対象というのは実際ないけれど、

恋愛対象とされることはあるということ。

 

試してみなければ分からないこともあるし、試さなくても理解してしまっていることもある。

現在の自分の心のメーターがどの辺りにあるのかで、対応は変わってくるでしょう。